どもおさみんです
ニュースでも取り上げられましたが、名馬ビワハヤヒデが老衰で30年の生涯に幕を下ろしたという知らせがありました。
これについては、ビワハヤヒデをモチーフにしているウマ娘公式プロジェクトのTwitterでも触れられていました。
こうしたお知らせを出すのも、モチーフに使用させていただいている馬主への配慮かもしれませんね
競走馬 ビワハヤヒデの歴史
競走馬ビワハヤヒデは、1992年から1994年に活躍しました。簡単ですが引退までの活躍を紹介します。
デビュー戦での勝利を皮切りに、怒涛の三連勝
確かな実力と人気に後押しされ、勢いそのままに挑んだ初のGⅠ朝日杯
ここはエルウェーウィンにハナ差で敗れ、惜しくも二位という結果でしたが、翌年からの活躍に期待がかかる1年目となりました。
そして勝負の2年目
この年2戦目の皐月賞の前哨戦となる若葉ステークスを悠々と走り抜け1着とし、臨んだGⅠ皐月賞
ここで立ちふさがるのは同じく前哨戦弥生賞を勝ち取った1番人気ウイニングチケット
続く2番人気のビワハヤヒデ、勝負はこの2頭の一騎打ちになるかと思われた
しかし、最終コーナーの大外から一気に駆け上がってきたナリタタイシンにクビ差で敗れ2着でのゴール
この勝負が、のちに「BNW」(ビワハヤヒデ、ナリタタイシン、ウイニングチケットの頭文字をとって)と呼ばれるライバル関係の始まりとなりました
BNW第2戦は同年の日本ダービー
結果はウイニングチケットが半馬身差でビワハヤヒデに勝利。ナリタタイシンは3着
またしてもGⅠ初勝利とはならなかったビワハヤヒデ
ライバル2頭に勝利するため、ここから通常では休養をとる期間を使ってハードトレーニングに励む方針をとります。
過酷なトレーニングを経て力をつけて臨んだ秋の菊花賞
ナリタタイシンが不調により参戦できなかったため、ウイニングチケットとの一騎打ちとなりました
注目のレースは道中を3着の好位置につける展開から最終ストレートに入ります
ここで一気に先頭に立ち、そのままゴール!
当時の日本レコードを更新する素晴らしい走りで、初のGⅠ制覇、そしてライバルへの勝利を成し遂げました
また、次戦有馬記念では惜しくも2位となりましたが、トウカイテイオーとのギリギリの一騎打ちはまさに名勝負と呼ぶにふさわしいレースでした
その後もGⅠでも勝利を重ね、1994年に引退するまでに16戦10勝という記録を残した名馬となりました
ウマ娘 ビワハヤヒデの活躍
ウマ娘でのビワハヤヒデは、冷静沈着でクール、レースでは論理と計算による分析で勝利を目指す性格と紹介されています
アニメにも登場しており、第10Rで妹のナリタブライアンと一緒に買い物をしているシーンがあります。
ナリタブライアンは実際の競走馬も兄弟の関係です
また、アニメOVAである「BNWの誓い」にてライバル3娘の活躍が描かれています!
リリースされるゲームアプリでも活躍する姿を期待したいですね!
競走馬の一生 エリートでなければ生き残れない
さて、話は変わりますが、今回のお知らせを聞いて初めて知ったことがあります。
それは、競走馬の一生です
競走馬として輝かしい舞台に立つのは、もちろんレースに出場している2歳から5歳がメインです
しかし、一般的に競走馬の寿命は25年から30年あるそうです。
つまり、実際に現役で活躍する期間は一生のうちの1割程度なんですね
もちろんけがや病気で亡くなってしまう競走馬もいますが、寿命まで生きた競走馬の一生の流れを簡単にまとめてみます。
・誕生~1歳
生後半年以降から調教を開始、1歳後半からは実際に人を乗せた騎馬訓練
・2歳~現役期間
競走馬としてのデビュー戦。現役期間は定期的にレースに出走し、よりより成績を目指してトレーニングを続ける
・引退
競走馬としてのピークを終え、晩成の場合でも5,6歳ころには引退となります
・その後
引退した後の過ごし方は、現役時代に残した成績によって変わります。
好成績を残した競走馬は繁殖馬として自身の血筋を次の世代に引き継ぎます。
そして、寿命までの期間を放牧地で悠々と過ごします。
残念ながら繁殖馬としての価値を見出せなかった競走馬は、食用に出荷されてしまう場合もあるそうです。
今回のビワハヤヒデのように、寿命による老衰を迎えた競走馬というのは、まさにエリート中のエリートということになるんでしょうね
今回はビワハヤヒデの訃報と競走馬の一緒について紹介しました。
競走馬というとどうしても現役時代での活躍に目がいきますが、こうしたその裏の物語を知るとより競走馬の世界の奥深さを感じますね
でわでわまた次のウマ知ろでお会いしましょう!